一多日々紀

写真家/まち歩きニスト

兵庫県西宮市出身。

神戸学院大学総合リハビリテーション学部卒。

現在は障害者福祉に従事する傍ら、街歩き(アテもなく徘徊)を続けている。

名刺収集家、フライヤー収集家、純喫茶マッチ箱コレクター。

これまで飛び込んだBar、純喫茶は数知れず。

旅と音楽と酒とアート、裏路地をこよなく愛す。

第8回:私のライブの告知~  2016.4.25  

人生とは不思議なもので、自分の身に一体何が起こるか予想が全くつかない。
まさかこちらのページで、自身のライブの告知をすることになるとは、夢にも思わなかった。
去年の夏辺りだっただろうか、以前からの知り合いであり神戸のモトコーで出会った

一風変わったパフォーマンスをするピアニストの中年女性に

何度も自身の主催のライブへの出演を頼まれ続けていた。


私は何一つ楽器が演奏できないのでと断り続けていたのだが、

「人が足りないから!!なんでもいいから出て!」と言われ続けた。
 

せっかくのお誘いなので無下に出来ず、ライブ自体に興味もあり、そんな中、

苦し紛れで編み出したのがこれまで撮り続けてきた写真のスライドショーであった。

私は10代の頃より、街の純喫茶や定食屋、街の変な張り紙や看板、奇人などを撮るのが趣味であった。
しかしそれは何らかの雑誌に投稿するわけでもなく、展覧会に応募することもなかった。

 

ただ、内輪の友人たちにこんなところに行ったよと伝えたり、

公開範囲が友人までのSNSにこそこそアップするだけであった。
つまり発表や表現することすらなかったのである、


しかしながらこうして何度もライブに呼ばれて喋っているうちに、

多方面から声をかけて頂くことが出てきた。
 

なんとも不思議であり、自身でも驚いている。
芦屋市在住のサイバーパンク演歌歌手、Σさん主宰のイベントであり、

今話題沸騰中のカニコーセン氏も出演される。
皆様、何卒宜しくお願い致します。

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5/29日(日)
神戸春日野道・『ぴらにあカフェ』【シグ子の部屋】
兵庫県神戸市中央区筒井町3-2-13

14時30分 st予定

おしぐ(芦屋)カニコーセン(加古川)、かるちん(尼崎)、玉置寛明(神戸)一多日々紀【市田響】(西宮・徘徊写真家)
ミッキー大畠(大阪)豊田あずさ(大阪)しんぐべー(高石)緒方珠花(枚方・紙芝居)しの山(京都)角谷JO-JIヒロヨシ(京都)ひで(伏見)
かおる(flat Sucks)

【第7回】  2016.3.25

~喫茶蕗

先日は鳥取県米子市に行ってきた。
そんな遠出の旅先でも、視界に入ると気になって足を止めて入りたくて

仕方がなくなるのは、その土地土地の純喫茶である。
 

米子駅から歩いて数分のところに、早速素敵な外観のお店を見つけた。

一瞬何と読むか戸惑ってしまったが、

『喫茶蕗(ふき)』である。

「いらっしゃいませ。」 奥から年配の女性が一人出てきて丁寧に挨拶をしてくださった。

どうやらこのお店も女性一人で切り盛りをしているようだ。

店内の一番奥へ行き、店の入口を眺められるよう壁を背に向け椅子に座る。

うん、良い眺めだ。

僕は壁にかかっているボードを眺める。
僕はホットコーヒーを頂くことにした。
近くの書棚から日本海新聞とやらを見つける。
どうやら鳥取県の地元紙らしい。初めて見たなぁ。
その新聞を眺めながらぼーっとする。


女性店主「にいちゃん、どこから来たの?」
どこから来たの?ということは地元の人間ではないことを察知したようである。
僕が旅行者であると直ぐに見抜いたようだ。
確かにこの大荷物。


僕は女性店主に兵庫県から来たこと、純喫茶巡りが趣味だということ、

マッチ箱の収集をしていることを伝える。

女性店主「にいちゃん、いい趣味だなぁ。私も集めたくなる気持ち凄くわかる。

そういう趣味の人、うちの家に来て欲しいくらいだわ。
娘がおったら紹介するのにね。うちは男兄弟ばっかりだけど。笑」
そう言って、にこりと笑う。

 

筆者「ここはどうして蕗という名前なんですか?いつからこのお店を?」
「覚えやすいでしょ。それと・・・」

 

女性店主いわく蕗のように細く長く、いつもまでもお店が続くように、

験担ぎの意味合いを込めて蕗と命名したようだ。
 

昭和51年から今年で40周年目を迎える。

女性店主「また米子来た際は寄ってな。待っとるよ。

貴方の素敵な趣味大切にしてね。」

【第6回】  2016.1.25

~朝潮橋 ボタン屋のお好み焼き

地下鉄朝潮橋駅の西側に八幡屋商店街と呼ばれる古い商店街がある。
昭和23年に創設された復興市場が八幡屋市場に改組された頃、時期を同じくしてこの商店街が発足したそうだ。
店舗数は現在約50店舗程度。
シャッター街の商店街が目立つ中、今なお、街の活気を感じることができる珍しい存在だ。僕はそんな商店街を一人歩く。
いつもの如く、気になる看板を見つける。
『ボタン屋のお好み焼き』
ボタン屋がお好み焼きをやっているのか。それともお好み焼き屋がボタン屋をやっているのか。
<お好み焼き>とだけ印し、手縫いされた暖簾から内部を窺い知ることはできない。
さて、今日も勇気を出して入ってみることにする。
「いらっしゃい」
70代くらいの女性が迎えてくれた。どうやら一人切り盛りをしているようだ。
壁のメニューを見て、僕は豚玉を食べることにした。
「どこから来たん。」
「お仕事なにしてるの。」
店主である女性は僕の緊張をほぐすかのように優しく声をかけてくれる。

こうしたたわいもない会話の合間にも次から次へと近所の高齢者がお好み焼きを買いに暖簾からひょっこりと顔を出す。その度に女将さんは笑顔で迎える。
「ああ、やっちゃん。待ってたで。はよ食べな、お好み焼き冷めるわな。」そう言って背中をさすりながらお好み焼きを手渡す。
「そうかぁ。にいちゃんはそないな仕事をしてるんやなぁ。人の世話をするってことはとても難しいことやね。簡単にできることじゃない。人の世話をするっていうのはそれなりの覚悟が必要なのよね。」
そして僕は一番気になった屋号の由来について話を触れることにした。
元々はこの場所は服屋として30年以上営んでいたそうだ。
「これまでこの商店街、この場所で洋服屋『ボタン屋』をやってたの。ここのお店奥までびっしりお洋服だったのよ。だけど10年前に旦那が亡くなった。その時一緒にお店を畳んでしまおうとおもった。でもね、やっぱり旦那がいた証を残していきたいじゃない。私が死ぬまでは旦那の分は『ボタン屋』という名前を残したい。だからお好み焼きの『ボタン屋』じゃなくて『ボタン屋のお好み焼き』にしたの。」
今なお街のボランティアを役職を歴任し、奔走する店主の元には商店街の自営業者、地域の高齢者がひっきりなしに生活の相談に来る。
酸いも甘いも知った人情味溢れる豚玉はとても暖かかった。

【第5回】  2015.12.25


<飽くなき探究・徘徊写真集①>

私は淡々と当てもなく歩く。

行き交う人も街も過ぎ去っていく。

寂れた街の風景は脳裏に染みる。

きっと今、目の前に広がる風景を観れる時間はそう長くはない。

だから残すのだ。

【第4回】  2015.11.25

 

  ~東大阪・長瀬のいづみ書店

近鉄長瀬駅で降りる。

関西のマンモス大学の雄、近畿大学のお膝元である。

今回来た理由はただ一つ、とある知人の近畿大学の先生に

長瀬に美味しい洋食屋が近くにあると聞いた。

奥まったところにあると聞いたがそれは案外早く見つかった。

その店でオムライスを注文し、昼食を済ませる。

やはり地に縁ある方のクチコミにハズレなしだ。

せっかくなのでいつもの如くあてもなく街を歩いてみることにした。

学生街だけに若者が多く活気があるが、そんなイマドキな活気とは対照的に

古びた純喫茶、麻雀店なども多く立ち並ぶ。

古いものと新しいものが共生しているそんな印象を受ける。

近畿大学前に『いづみ書店』なる

古本学術書専門店の看板を見つけた。

よし、入ってみよう。 奥では初老の男性が静かに本を読みながら店番をしている。

意を決して喋りかけてみることにした。

「いらっしゃい」 意外な笑顔で返してくださった。

 

店主さんによるとこの地で店を開いて47年になる。

昔は近畿大学の学生が列を作って店の中で屯していたそうな。

 

「はよ帰りや~言うてもなかなか帰ってくれへんかった。笑 

ここでよう学生同士が議論白熱して喧嘩なりかけてたなァ。」

「それに比べたら今は・・。学生も滅多に来なくなった。皆、本読まんくなった。

勉強もしなくなったのかもしれない。」と嘆く。

しかし未だに『当時の常連学生』が「おっちゃん久しぶりやな~」と訪ねてくれることもあるそうだ。

『当時の常連学生』が北海道、山形やあちこちの大学の教員をしてたりで

研究会や学会で関西に来た時に顔を出し、寄ってくれる。

 

すっと名刺を差し出してくれて「なんや君、出世したな~って昔話をするのが嬉しいんよ。」

店内に飾っている男性の写真が気になったので訪ねてみると2代目近畿大学の総長が来店した時なんだそうだ。

「総長さん、新年の宴会の後に寄ってくれてな。よう来てくれた。」と。

その後も店主と神戸の古本屋(海文堂)や常連学生の昔話を1時間くらい喋る。 「せっかく遠いところから来てくれたからこれ持って帰ってよ。はい、お土産!」と

『社会福祉年表』なる古本を頂いた。

なんと気風の良い店主さんか。これが長年地元で愛されている秘訣かもしれない。

 

いづみ書店は長瀬の歴史が詰まった店である。

50年60年、いやそれ以上に末永く続けて頂きたいと思う。

【第3回】  2015.10.21

 

  ~寛子さんのたこ焼き

天満駅の北側、狭い裏路地に小さな小さなたこ焼き屋がある。
よく見ておかないとすぐに見落としてしまいそうになるそんな場所だ。
56年もの間、ずっと一人この場所で店を営んで来た。


「近所の人より、私は遠くから来た人を大事したい。」
そう話すのは店主の寛子さん。
そんな寛子さんに会う為、和歌山や京都から何度も足を運ぶ人もいるそうだ。

「うちのたこ焼き、見た目変わってるやろ。この卵見てごらん。これを使ってるんよ。」
そう言って寛子さんは笑顔でボールに入ったたくさんの卵を見せてくれる。

「ソースも特別や。

これだけ売ってって言う人も居るけどお断りしてるねん。

ここで食べてもらわないとな意味ないからなぁ。」

「この街も随分変わっちゃったけど私は変わりたくないの。もうちょっとだけね、続けたいのよ。」

「兄ちゃんせっかく来たんなら。この辺やったらあの立ち呑み屋がええ!寛子さんに教えてもらった言って行っといで!」

背中を押され、また僕は次の店へと流れるのだった。

【第2回】  2015.8.8

 

 

~忠岡町にある焼きうどんや。

 

 

 

大阪府泉北郡忠岡町、ここは日本一小さな町である。

 

この小さな町に60年以上続く焼きうどんやがあると風の便りに聞いた。
日本一小さな町といえどもよそ者からすると迷路以外のなにものでもない。
とにかく住宅街の中をひたすら歩く。
住宅街の中を10分ほど歩いただろうか、アイスクリンという文字が目に入る。
どうやらたこ焼き屋がアイスクリームも出しているらしい。
屋号を阿蛸弥というそうだ。

バナナ味アイスクリン

「この近くに焼きうどんの店があると聞いたんですが。」
「あそこの電信柱を右に進んだら大きな桜の木があるわ。そこを左に曲がったら暖簾が見えるよ」
見つけた、ここか。
暖簾はあるが名前はない、何処にも看板が見当たらない。
老朽化の為、既に無くなってしまったのかそれとも元からなかったのだろうか。

そっと、木造のドアを開けるとカラカラと音がした。
「いらっしゃい。」出迎えてくれたのはお年の召した温和なご夫婦。
大将は今年で78歳、二代目なんだそうだ。
忠岡町で生まれ、忠岡町で育った。
「元はこのあたりは公設市場でよ。たくさんのお店があったけど次から次へ無くなって。となりはたしか漬物屋だったかなぁ。もううちしかのこってへん」
「もう閉めるんよ。ここ。今年いっぱいかなぁ。もう充分やったし、終わりやな。」
うん十数年前、交通事故に遭い右足の大腿骨を骨折した。
後遺症が残り、足が不自由ながらも店先に立ち続けてきた。

「うちのは出汁がうまいんや。ぐいっと飲んでな。しいたけの味が染みてるやろ。」

喋ってる間にも次々に出前の電話がひっきりなしにかかってくる、全て忠岡町内からだ。
「ああさっちゃんか。元気か?今日は暑いな。今から持っていくわな。おおきに。」
そう言っておばちゃんは焼きうどんをせっせと作り、業務用ポリマラップという特殊な業務用サランラップを使って包んで行く。
「これ買ってからなぁ、便利なんよ。」そう言っておばちゃんは微笑む。
そして木製出前箱にそっと入れ自転車に乗り配達に出かける。

「忠岡町は小さな町や。合併するって話があったけどみんなで反対した。忠岡町は横が短くて、縦に長いんよ。」
おしゃべり好きの大将がふと黙った時、耳に入ってくるのは三台の扇風機の音だけであった。

【第1回】  2015.8.3

 

 

[笹舟倶楽部]

<旅の初めに。>
~何故私はモンジャクシン篠原氏と出会ったのか~


 

毎日私は何処かへ行く。
アテもなく歩き、街灯に集まる蛾のように飛び入る。

今回、スタジオモンジャクシンのオーナー篠原氏のご好意で連載をさせていただくことになった。
私は西宮生まれの西宮育ち、いわゆる生粋の宮っ子である。
篠原氏との出会いは数年前、西宮市神呪町・jazz喫茶笹舟倶楽部にあり、私も篠原氏もその店の常連客であった。
店内のあちこちには古本とレコードとCDが山積みになっており、テーブルの上にはたくさんの食玩とスクラップされた新聞の切り抜き、マスターのヨメが集めたそうなスヌーピーグッズ。
兎に角、この雑多な空間が心地良く暖かい。
いちびりなマスターが愛用PCでヤフオクをぼーっと眺めながら珈琲を飲んでいる。
今はたった2席しかないが、開店当初はそうでもなかったらしい。
近所の主婦が珈琲一杯でたわいもない世間話、主人の愚痴などで席を占拠されることをひどく嫌い
本とCDを日に日に積み上げて座席を埋め尽くして追い出したそうな。
そんな場所で篠原氏と私は漫画論や音楽論を交わし、意気投合することとなった。
怪しい店には怪しい客がつきものなのかもしれない。

当時、篠原氏はこのjazz喫茶の近くで中古CDショップとしてのモンジャクシンを営んでいた。
門戸厄神がもんどやくじん、もんじゃくしんと訛ってモンジャクシンとなったそうな。
そのことからも漲る愛郷心が伺える。
今は門戸厄神から移転し、夙川の高架下商店街内でスタジオモンジャクシンとして店を構えておられる。
著名なミュージシャンも日々訪れ、音楽談義に花を咲かせ満足げに演奏して帰るようだ。
ナゴムレコードを目指したモンジャクシンレコードという自主レーベルの作成・販売、西宮のまちづくりに音楽家として
関与、元保育士として保育所ライブを企画されたりとユニークな取り組みを実践しておられる
モンジャクシンは西宮の音楽文化の発信地として地域に根ざした益々ご活躍されることだろう。