泣ける歌、泣ける映画、泣ける小説… 「泣ける」ってなんなんや。ストレス発散? 泣ける=良いこと なん? 「泣ける」を売り物にした泣けるビジネスなんじゃないの。
「全米が泣いた!」だから何?
確かにぼくも映画観たり、音楽聴いたりで泣いたりする事もある。
その他、日常でもちょっとした事で涙が溢れることもある。 でもそれは自分の中にしか解らない特別なものであって、
意図的に与えられたものではない。 大勢の人と共有するものでもない。
多く泣かしたら勝ちでもない。
例えば泣ける方程式を使えば誰でも泣けるものを作れる。
もうパターンである。 よくあるのがカップルなり家族なりが
幸せの絶頂のときに誰か死ぬというやつ。 そら泣くわ。 ぜんぜん興味ない奴が演じてる作品や子供のアニメでも涙腺緩むよ。
そんなんされたら。 動物ものもヤバイね。
でもここで作り手の視聴率なり売り上げなりを意識した
泣き商法はやっぱりぼくはいただけない。
あえて泣きたくてそういう作品を求めるのも
ぜんぜんありで自由なんだけど。
ドキュメントや悲惨な体験談とかで泣くのはいいと思う。
その泣きを超えていってどうしたらこれ以上
その悲しみを作らないような世の中にしていくか
考えていくきっかけになるから。
卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう でももっと哀しい瞬間に 涙はとっておきたいの (作詞:松本隆)
ほんまこれ!である。 泣きの押し売りは要りません。
最近、泣いた曲「セシウムと少女」知久寿焼